82年生まれ、キム・ジヨン
ある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したかのようなキム・ジヨン。誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児…彼女の人生を克明に振り返る中で、女性の人生に立ちはだかるものが浮かびあがる。女性が人生で出会う困難、差別を描き、絶大な共感から社会現象を巻き起こした話題作!韓国で100万部突破!異例の大ベストセラー小説、ついに邦訳刊行。
おすすめポイント
- ☑暗い韓国社会
- ☑女性として生きる辛さ
韓国が日本と同じくらいに女性差別の激しい国だという印象はなかった。 話題となっている夫婦別姓問題では韓国はその先進的な例として声高に宣伝され、あたかも女性の権利を養護しているとの見方が強い。 そう想って小説を読むと、ここで描かれている実態とぼくの思い込みには大きな乖離が合った。 同じアジアの近しい文化の国、韓国が抱える問題はぼくらも黙ってみているわけにはいかない。 しっかりと他山の石として両国ともにアジアの地位を上げるべく協力してやっていかなきゃ行かないだろう。 男女どちらに例えるわけにも行かないが韓国と日本の婚姻関係もまた平等で公正であるべきなのだから。
82年生まれ、キム・ジヨン
二〇一五年秋
キム・ジヨン氏、この著書の主人公は三十三歳。 30で結婚し、32で女の子を出産した。 36歳の夫チョン・デヒョン氏と3人でソウル郊外に住んでいる。
最近、おかしくなってしまったジヨンを、そうさせた原因はなんだろうか1982年に遡って彼女の生い立ちから今の韓国女性を取り巻く問題を浮き彫りにする。
一九八二年~一九九四年
韓国でのこのころの男子優遇が自分の予想以上に激しいとは思わなかった。 姉と弟の真ん中だったジヨン氏だが、弟はつねに甘やかされていた。 はじめはお姉ちゃんふたりが面倒を見るのは当たり前だと納得していたが、次第に納得できなくなることが増えた。
「もしも、もしもよ、今おなかにいる子がまた娘だったら、あなたどうする?」
何をばかな、息子でも娘でも大事に運で育てるもんだろうと、そう言ってくれるのを待っていたのだが、夫は何も答えない。
「ねえ、どうするの?」
夫は壁の方へ寝返りを打つと、言った。
「そんなこと言ってるとほんとにそうなるぞ。縁起でもないことを言わないで。 さっさと寝ろ」
p.23-24
これが韓国の一般的な価値観だった。 生まれてくる子供の性別は男の子がいい。 じゃないと親も幸せになれない。
その結果、女子の中絶が増えてしまい、90年代のはじめには生まれてくる男児と女児の性別の比率が頂点に達した。 3人目に生まれてくるこの出生性比は 2:1にまで至ったのだ。
この当時の記憶といえばおなじクラスの女子が理不尽で不平等な韓国の出席番号制度(男子から始まる)に対して意義を申し立てたことによる成功体験が大きかったという
一九九五年~二〇〇〇年
ストーカーに出会う。
ストーカーのせいで怖がったジヨンに対しての男女の言葉の投げかけの違いがさらにこの男性優位社会をまざまざと映し出す
助けてくれた女性は 「でもね、世の中にはいい男の人のほうが多いのよ」 と付け加えた。
この言葉がなかったら簡単にジヨンは男性嫌いになってしまっただろう。
一方で父は「自分にも非があった」とばかりに服装や立ち居振る舞いに気をつけろ! 危ない道、危ない時間、危ない人はちゃんと見分けて避けなさいと。
もちろん二度と娘を怖い思いさせたくないからという意味で厳しく接する気持ちもわかる。
ただ、気にしないに越したことはないが、女性だけが自由を抑圧されながら過ごさなければいけないことに対しては不平等である。
もちろん、世の中の男には平気でルールや倫理を無視して良くないことをするひとがいる。 それでも「世の中にはいい男の人のほうが多く」て、たった少数の男のせいで自由を奪われるなら、その男をどうにかしたほうがいいのに決まっている。
韓国の女性の幸せな職業ってなんだろう
ぼくがいちばんこの小説で心を打たれたのは、母親が長女の進路に口を出してしまったことを泣いて公開する場面だ。
ほんとの行きたい学校に行かせてやればよかった、 私みたいなことをさせるんじゃなかったと言って。
p.69
この「私みたいなこと」という感覚、つまり自分がやりたいことを親や社会によってやらせてもらえなかったという感覚を多くの女性が共有しているというのが一つ。 そして、その思いを持っていてもなお、韓国社会に根付く女性は「専業主婦になるのだから」的思考が、母親になったときに口出しをしてしまうほどに深くしみこんでいるということの現実を突きつけられた気分だった。
二〇〇一年~二〇一一年
すでに感情は乾ききってしまい、そんな感情のホコリの上に火種が落ちたら打つ手はない。
p.113
めっちゃ素敵な比喩。
乾いた感情のホコリに火種を落としたら燃えるよね。
感情、乾く、ホコリ、そして衝突の元を火種とする比喩。 素敵すぎて気に入った。
二〇一二年~二〇一五年
韓国の戸籍制度がどうなっているのか気になる。
今の韓国は二〇〇五年に戸主制度を廃止した。 戸主制度をなくすと、父母や兄弟がだれかもわからなくなる。
子供は父親の姓を受け継がなくてはならないわけでもない。 婚姻届を出すさいい夫婦が合意すれば、母親の性と本貫(韓国は名字が偏りすぎているので本籍で区別するような仕組みがある)を引き継ぐことができる。
だが、2008年に65人が母親の姓を引き継いだだけで、今も例年200件以下に過ぎない。
夫の態度は何だ?
「子ども一人、持とうよ。どうせいつかはそうなるんだから、嫌なこと言われて我慢してないで、一歳でも若いうちに子どもを持って、育てようよ」
チョン・デヒョン氏はまるで、「ノルウェー産のサバを買おうよ」 とか、「クリムトの『接吻』のジグソーパズルを学に入れて飾ろう」とでも言うみたいに、なんでもないことのように、悩みもせずにそういった。
p.127
「でもさ、ジヨン、失うもののことばかり考えないで、得るものについて考えてごらんよ。 親になることがどんなに意味のある、感動的なことかをさ。 それに、ほんとに預け先がなくて 最悪、きみが会社をやめることになったとしても心配しないで。 僕が責任を持つから。君にお金を稼いでこいなんて言わないから」
「それで、あなたが失うものは何なの?」
「え?」
「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも今までの計画も未来も、全部失うかもしれないんだよ。 だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。 だけど、あなたは何を失うの?」
p.129
そして、女性のジレンマ
与えられた権利や特典を講師しようとすれば丸儲けだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の(女性の)同僚を苦しめることになるという、このジレンマ
おわりに
韓国でも日本で言う「専業主婦」の悪口のようなスラング「ママ虫」という言葉がある
韓国の女性差別についての小説を読んで感じたことを簡潔にまとめると、韓国も女性の権利に関する課題を抱えており、日本と同じくらい差別が激しいという印象を受けた。1982年の内容だし、刊行されたのも今よりももっと昔だが、知らなかったことを恥ずかしく感じるし、今もあまり変わっていない現状が悲しくなる。
夫婦別姓問題などを通じて、両国は協力して女性の権利を養護し、婚姻関係も平等で公正にするためになにができるかなと感じた。