野原
小さな町の墓所に眠る29人が語る、人生の一瞬の輝き、失意の底にあっても損なわれない人間の尊厳。国際ブッカー賞候補作『ある一生』のオーストリアの作家が描く、魂の奥深くに触れる物語。
おすすめポイント
- ☑やさしいストーリ-
- ☑語りが織りなす物語
- ☑すこし翻訳調
オーストリアのとある町の歴史を紡ぐように、「野原」で眠る29人の死者の語る言葉に目を向ける。大きな事件もなく、過ごした時代の異なる人も混ざる彼らの話から浮かび上がる町のあたたかな、どこかなつかしい町。
野原
時代も違う、関わっている人間も違う、世界を揺るがすほどの事件が起きたわけでもない。
ただ淡々と流れてゆく時代の中に身を置いた数々の人々の語り。
複数視点の語りから詳細になるストーリーから、ただの息子への独白までさまざま。
それでもそれぞれがこの町に生きていたという共通点でつながる。
何度も読むことで変わっていく。 時を超えて楽しめそうな本に久しぶりに出会った。
抜粋
ハイデ・フリートラント
私の記憶が確かなら、六十七人。 まあ一人くらい多かろうが少なかろうが、大した違いはないわ。 あの箒を持った男は数に入らない。あの男は、いつも二本の放棄をもって歩いていた。 ...(中略)
あの男は数に入らない
p.136
今までに関係を持った男を改装する老婆。
ヘルム・ライディッケ
15
言ってみろ―愛してる! って。 わかってる、 お前の耳には、バカみたいで噓くさく響くだろうな。 でも、相手の耳にはそうは響かないんだ。 俺は一度も行ったことがない。どうしてだかはわからん。言えなかったんだ。いろんな人に、言ってくれって頼まれたよ。 期待された。要求された。 何度も、何度も。 でも俺は言えなかった。 相手からは、しょっちゅう言ってきた―
愛してる!ってな
で、相手も同じ言葉を俺から聞きたがった。 俺は、愛は物々交換じゃないっていう意見で、だから言わなかった。 ただの一度も。 で、かなり確かなのは、俺がやっちまったなかでもそれが一番大きな失敗だったってことだ。
p.52
15もの格言をおそらく息子?にいっている父のことば。 たくさん秀逸な格言があるなかでも最後の格言は一層胸に刻みたい。
かっこいい言葉をいいつつも、ユーモアを交えている父のセンス。かっこいいぜ。
マルティン・ライナルト
トムの顔を殴りつけてやりたかった。後部座席に座っているトムの顔は、半分陰になっている。
ビール瓶を膝に挟んでいる。いつもこうだ。はじめるのはトムのほうで、俺はそこに加わるだけなのに、最後にはぜんぶおれのせいになる。 でも、俺たちは無二の親友ということになっていて、 多分俺は、その神話を壊したくなかったんだろう。
p.198-199
「親友」であるという関係性を壊したくないがために、行動に移さないという考え方にはじめてであった。
それと同時に、死んでからのこういった内情の話を淡々と29人がしていく構図はとても面白かった。
おわりに
「藪の森」のように迷宮入りするわけでもなく、そもそもとくになにか「謎」があるわけでもなくただただ、ある村に住んでいた29人の死者が語る。
生きていたときを思って、淡々と、
中には遺した息子のために
今でも、あのころの愚痴を言ったり、言い訳を述べるものもある。
たった一つのオーストリアの町に住んでいた、時代も違う29人の死者の声が作り上げるストーリーがここまで面白いものになるとは思わなかった。
とくに市町と土地を持っている人、そしてレクリエーションセンターを訪れた人の語りの流れが好きだった。
R.I.P