植物考
はたして人間は植物より高等なのか?植物のふるまいに目をとめ、歴史学、文学、哲学、芸術を横断しながら人間観を一新する、スリリングな思考の探検。
おすすめポイント
- ☑植物に関心がある人に新たな視点を
> 本当に人間は商物よりも高等だといえるのだろうか。考えれば考えるほど、革新的な答えが遠のいていくような感覚に襲われる。
植物考
第1章 植物性
本当に人間は商物よりも高等だといえるのだろうか。考えれば考えるほど、革新的な答えが遠のいていくような感覚に襲われる。 植物は人間がいなくても行きていいけるが、人間は植物なしではいきていけない。 どうして私達は、これまで述べてきた人間の文化の基本的な行為、すなわち、食べること、住むこと、着ること、育てること、名付けることを、 植物が「できない」と表現してきたのだろうか。 「する必要がない」ではなくて。
p.15-16
植物を食べるetc..の行為でしか”高等”であるという見方をしてこなかったのでは?
しかし、それは必要がないから彼らがしないだけの行為であって、、、
という問。
進化という過程では当たり前に感じる所、光合成は僕らにはできないじゃないかというツッコミなど 色々と考えられるが、至極真っ当。
人間がどれほど自分の細胞に装備したいと思っても装備できない細胞壁を有しているから、
p.19
人間が細胞の一部に細胞壁を獲得したら有利になることってあるのか?
植物性について
植物性とは動かないことを意味しない。 受動的という形容詞もあまり的確ではない。 小さいところで目立たず動き続け、全体としては動じない。 何時間も何日に何年もかかってゆっくりと動いたり、太陽の動きに応じて動いたり、地下に根を張ったり、環境の異変が激しいときには それに見をっ任せたり、調整を人知れず進めること。 最終的には出発点からあまり動いていない状態に着地すること。ただし、その着地点は出発点からズレが生じている。 植物はたんに反復しているのではない。 炸裂によって絶え間なく差異を生み出している。 その再生と反復が、生命の営みである。
p.30
就活で流行りのガクチカ構文もこんなふうに書いたらかっこいいんだろうか。 炸裂によって絶え間なく他人との差異を生み出し、この再生と反復を効率的に意識して、改善につなげていきました。。。
第2章 植物的な組織
出町柳の近くの河合橋の根性松について触れている。
植物はすごい。
彼(松)については知らなかったが、今は近くの公園に移設された模様
ここからは文学者らしく、過去の哲学者や文学者の考えや、専門としていた戦争時の植物の関わりを通じて「植物考」を展開している。
第3章 大気のクリエーター
枯葉剤、DDTによって汚染されたベトナムや沖縄の大地が植物によって徐々に再生する
第5章
ミニトマトの話と根っこの話
第6章 花について
性的」と評されることの多い植物の花について「期間限定の理性の劇場」と述べた。
意図は僕には解釈できなかった。
第7章 葉について
モンステラの葉の役割についてはいくつかの仮説があるが、今回は下の葉っぱに日光を当てるために隙間があると書いてあった。
他にも、風や雨をもろに受けないため、や葉の表面上での空気の動きを盛んにして光合成の効率を上げるなどがある。
しかし、今回は1つにしか触れていなかったので浅い考察ではなかろうか?
第8章 種について
- 王室に入るのはつらいらしい。
- 風船に手紙を付けて飛ばした話
植物と帝国主義
植物の土地への定着の深さと移動のダイナミズムという相反する性質がなければ、国家や帝国は今のような支配・管理形態をとらなかったはずだ
p.186
つまり、植物の特徴である
- 遠くまで自由に移動できる能力がないこと
- 環境次第では、地球上の遠く離れた場所でも生育できること
この2つのとくちょうがあったからこそ、船などの交通手段を駆使して世界中の種子や苗を集めに行く大航海時代が生まれ、 そして、その土地でしか生育しない植物に対しては、その土地の農民を支配して収穫物を吸収する(税金も含めて)という構造ができあがったのである。
そして、この2つの力(航海と土着)の配分の違いが、ポルトガルやオランダと、イギリスやフランスなどの違いを生み出した。
ポルトガルは熱帯アジアに商業拠点をおいて現地の承認から香辛料を購入してヨーロッパで売却することによる差額で富を築いた。
しかし、イギリスなどの帝国は、植民地を設けて継続的な支配をした
ここでいう「継続的で最も効率の良い支配」が黒人奴隷を用いたプランテーションであったのだ。
この植物の特徴が支配体制をつくりだしたという考え方は非常におもしろかった。
第9章 「植物を考える」とはどういうことか
ビーガニズムにたいする曖昧な態度はくそみてえだぞ。 言い切れ。