クラシックを聴け!_完全版
推理小説を読んで、サラダを作れば、クラシック音楽がわかる―チャイコフスキー、モーツァルト、ベートーヴェンなど基本の五曲でクラシックのキモを解説する痛快な入門書。お勧めのCD、演奏家、コンサートホールなど役立つ情報も満載。
おすすめポイント
- ☑クラシックを聴く前に。
たった3曲そこらでクラシックの超基本的な部分だけど、他の全作品にも通じる核心がわかる。 ふつうのクラシック解説本とは一線を画す面白い本。 文章もとても楽しいので音楽に親しみたい人や、親しみのある人におすすめのクラシックエッセイ。
クラシックを聴け!_完全版
聴き始める前に
アガサクリスティーやクイーンあたりの本格推理小説を読め。
他には、ディクスン・カーとかヴァン・ダインとかならいいらしい
クラシックと本格推理小説は似ているところがあって、その感覚をつかむのが大切だからだという
作曲家の人生観とか思想とかそういった部分よりまず、音楽そのものの個性に目を向けて楽しんでから、より深く楽しむためにそういった作曲家自身の感情とかに興味を向けてより一層楽しめるのだ
次に、サラダを作れ
これはそれぞれ違うものからハーモニーを生み出し、それぞれが存在することに意味があり、新たな意味が生まれるということを実感するためである
日本の料理は素材そのものを大切にすることが多いが、フランスなどのヨーロッパ系の料理は素材そのものではなくそれらをうまく使い合わせたハーモニーが大切になってくる。 だからサラダを作るといっても日本的な思想ではなくフレンチなどのハーモニー感じるサラダを作って食べるのがいいという
カツカレーコラム
サラダとかフランス料理とかではなく、日本料理の中で異端な存在「カツカレー」
ヨーロッパ的な重層なハーモニーが楽しめる一皿とのことで大絶賛する文章が飯テロ。
クラシックを聴かせるだけじゃなくて、人を○○させるための魅力を語る能力が高い、、、
実践編1 三曲聞けばわかる
たった3曲を聞くだけでクラシックの肝がわかるものの紹介
- Tchaikovsky ロメオとジュリエット
- Mozart ピアノ・ソナタ 第十五番
- Beethoven 第九
チャイコフスキー、ロメオとジュリエット
チャイコフスキーはロシアの作曲家
当時のロシアは西欧にコンプレックスを持っており、フランス語が話せることが教養であったり、芸術も西欧らしさが一流品であると考えられていた。 チャイコフスキーはその時代の中で西欧のクラシック中心地の盛んなトレンドを俯瞰的に見て自分のところにうまく取り入れることができた。
チャイコフスキーの有名な曲に『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』、『眠りの森の美女』などがある
これらは傑作であるが、バレエのための音楽
だから、踊る際のステップや歩数を細かく考えながら作られているため、純粋なクラシックを理解するためにはやや複雑になってしまう。
幻想序『ロメオとジュリエット』
30歳のときにチャイコフスキーが書いた曲
明確なロミオとジュリエットのストーリーに則っているため音楽の姿がつかみやすい。
簡単なロミオとジュリエットのストーリーは以下 ー
北イタリアの街、ヴェローナの敵対する家族の若い男女が恋に落ちてしまい、家族の反対を受ける。 結局二人は悲劇の死を遂げ、敵対していた家族たちも反省して仲直りをするというストーリー
このストーリーにしたがって、チャイコフスキーは甘い恋と、強烈な憎しみの両方を表現する曲を作り出した。
ヨーロッパの音楽、とりわけクラシックで大切なのは「二元論」
二元論とは対立する二つのことがらを用いて説明すること。 例えば男と女、善と悪
この西洋二元論を音楽に組み込んだのが「ソナタ形式」^[ピアノ・ソナタなどの「ソナタ」は音楽の曲種であり、形式ではない]
モーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、マラーなどなど、特に好局局やピアノ曲や室内楽曲といった、声が入らない音楽の世界は、この形式抜きには考えられないのだ。
p.81
ソナタ形式の展開
ソナタ形式の展開はほとんど次のような形
提示部―展開部―再現部―コーダ
提示部ではふたつの「主題」が示される 登場する主題の姿をはっきりさせるために繰り返されることが多い
次に展開部は様々な事件が起きる場面。ふたつの「主題」が様々に姿を変えて盛り上がったり、静まったりと複雑なドラマを展開する。
再現部は、ハッピーエンドの場面。ぶつかり合っていたふたつが無ずバレル。 今まで対照的だったふたつの主題がスムーズに結び付けられる
コーダは「チャンチャン」というエンディングのこと
大天才、モーツアルトのピアノ・ソナタ
モーツアルトは天才過ぎて、クラシック界隈ではモーツアルト以前か以後かに分けることもできる。
モーツアルト以前の大作曲家バッハやハイドンなどはモーツァルトに吸収されて軽やかに何気なく再現差rてしまっている。
モーツァルト以後のベートーヴェンなどは天才のあとのクラシック界でもがき苦しみながら新たな道を探し続けていた
加えて、モーツァルト前後ではヨーロッパの政治体制も違う。フランス革命を経て、ナポレオンの栄華を経て、時代が変化した。
伝統的な貴族や王族に雇われるスタイルのモーツァルトなどの時代から、聴衆が市民に変化した。
続く時代の作曲家たちも、モーツアルトの音楽を愛しながらも、ベートーヴェンの信念、創作態度を模倣したのである
p.86
ピアノソナタ『第十五番k.545』
ピアノ・ソナタの中でも最も有名で小規模な作品『第十五番k.545』^[クラシックの曲は「ジャンル+番号」で呼ばれる曲がほとんどで『運命』などのようにタイトルを持つ曲のほうが少ない]
提示部
はじめは単純で明るい、騒がしい感じのメロディから。 ドラマで言うなら、快活な主人公、さわやかな男の子といったところ。
開始22秒くらいで左手のはじく音が少し変わり、25秒くらいから第二主題が始まる。 第一主題よりも可憐な感じでいっそう高い音域で弾かれている女性的なメロディ^[半オクターブ高くなっている]
また、第二主題では音が下がっていこうとする印象がある。第一主題の音が上がっていく感じとの対比で考えると女の現実主義と男の理想主義のようなコントラストが読み取れる。
ふつうのソナタ形式ではここから展開部に入っていくのだが、モーツァルトは違った。 32秒過ぎから音が上に行こうとする力と下に行こうとする力を軽く衝突させながら男女が追いかけっこしているような様子を見せる。
さらに39秒からの数秒間、前の衝突を受けて、第一主題が少々姿を変えて(女の子と献花した後の男の子みたいな感じで)歯切れがよくなり、提示部をかっこよく終わらせるのに役立っている。
提示部は52秒ほどで終わるが、内田光子の演奏ではもう一度提示部を繰り返し、1分44秒から展開部に移る
展開部
今まではひたすら明るく可憐だった音楽が突如雷雲に覆われたかのように暗く、湿り気を帯び、不気味な力まで感じさせるほどに大変化してしまう。
1分44秒に置かれた、たった一つの「ガン」という音によって世界がガラリと変わってしまうのだ。
この展開部は、第一主題と第二主題の激しくも悲しい戦いの場面
ベートーヴェン時代はこの波乱の部分は長く続かない。あっさりと次の再現部に移っていく。 これは時代背景ともかかわっている。絶対権力者の時代では困難や混乱も簡単に解決されるというストーリーが多いが、のちの市民の時代では展開部が執拗で生々しさを増していく。
再現部
2分8秒からは再現部がはじまり先程聞いた第一主題に戻る。
しかし、初めのときの第一主題よりも高い音域で弾かれているため、印象が大きく変わる。 あたかも暗い事件を乗り越えて、幸せに達したような感じを与える。
そして2分37秒からは第二主題が再現されるが、こちらはやや目立たなくなっている。 音が下がり、第一主題とのコントラストが薄まっているのだ。
こうして第一主題と第二主題がスムーズにつながり、ドラマは無事に終わりを迎えたということになる。
3分6秒で本来は曲は終わるが、内田光子は展開部と再現部を繰り返し弾いている。
クラシックは「混沌」から「調和」へ
この2曲からもわかるクラシックの核心は
混沌→調和
という図式
ベートーヴェンの『第九』もほかの有名作曲家の作品もことごとくこの図式に従っている。
これは当たり前のように聞こえるが、日本やアジアの伝統音楽、安生以下の民族音楽やジャズでも普通ではない。
クラシックのように厳格に時間の流れが決められているわけではない。
p.98
ベートーヴェンの『交響曲第九番』
p.101
@2024-04-08 ここからは図書館の返却期限を過ぎそうになってしまったので後々やっていく。 面白い本なのでこの本は買うことにした。 後々.