カンガルー日和
時間が作り出し、いつか時間が流し去っていく淡い哀しみと虚しさ。都会の片隅のささやかなメルヘンを、知的センチメンタリズムと繊細なまなざしで拾い上げるハルキ・ワールド。ここに収められた18のショート・ストーリーは、佐々木マキの素敵な絵と溶けあい、奇妙なやさしさで読む人を包みこむ。
おすすめポイント
- ☑村上春樹の最高傑作がある
世界最高峰の短編小説。4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」はぼくを村上春樹にいざなってくれたきっかけ。これの前に読むカンガルー日和のカップルの雰囲気もどこか憎めなくて非常に愛らしい姿。
カンガルー日和
カンガルー日和
この小説を読むたびに彼女たちの関係性が気になる。
地方都市に住んでいて地方新聞を購読している。
確実に一か月前からは同棲をしていて、区役所に出かけるような用事を持つ年ごろ。しかも猫まで飼っているとなるとわりと長く同棲していてお互いに信頼しきっている。
おそらく社会人4,5年目で付き合って2,3年目の結婚を目前に考えたパートナーなのだろう。
雨が降っているという理由で、いやな風が吹いているという理由で動物園に行くのをあきらめるほどのある程度腰が重くものごとに冷めきったような態度だ。
けれども二人の息はぴったりだ。
しかし何はともあれ、カンガルーを見るための朝はやってきた。我々アハ浅野六時に目覚め、窓のカーテンを開け、それがカンガルー日和であることを一瞬のうちに確認した。我々は顔を洗い、食事を済ませ、猫に食事を与え、洗濯をし、日よけ帽をかぶって家を出た。
ここからは二人が電車に乗って動物園にいたるまでのなにげない会話が続く。
「ねえ、まだカンガルーの赤ん坊は生きているかな?」と彼女。 なんて独特な切り口なんだろう。 ましてや電車に乗って出かけるときに不安になる要素だろうか。
もっと、動物園に人が多いのだろうか?とか今日のお昼はどこで食べようかとか?とか現実的な、普通の人が動物園デートに行くまでに考えそうな疑問・不安ではない。
けれども、それに対する彼の返答も非常にスマートなようで素っ気ないよう
「生きてると思うよ。 だって死んだっていう記事が出ないもの」
彼氏の議論に乗っからずに負けるだろうから手を引く姿勢や、彼女の考えることに対して感心する様子。 彼女がカンガルーについて聞いてくるだろうからあらかじめ図鑑を読んで調べてくる様子。慰める態度。 ずっとカンガルーを見続けている彼女に付き合ってあげておまけに物を買ってきてあげるさま。
すばらしい。
けれども、そうしたくなるような魅力がたしかに彼女にはある。
彼女はなんてたってぼくら男の子が思いつきもしないような。 たとえ思いついたとしても男友達には絶対に言わないようなことをふつうに言ってくれる。
そんな素敵なカップルがこの世の中に入るのだろうかと考えながら、僕は来るべき「4月のある...」という最高の小説への期待を胸にページをめくる。
とはいえ、やっぱり村上春樹のたとえには納得させられる。 絶対に思いつかないような例えであるにもかかわらず、奇をてらいすぎた感もなく、容易に想像できる。
母親は強い日差しの中であせ一つ買いてはいなかった。青山通りのスーパー・マーケットで昼下がりの買い物を済ませ、コーヒー・ショップでちょっと一服しているといった感じだ。
4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女の子とすれ違う。 たいしてきれいな女の子ではない。素敵な服を着ているわけでもない。(中略)しかし50メートル先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。
けれども、彼は彼女の特徴をまるで覚えていない。彼には女性のタイプに関する好みを持っているにもかかわらず彼はその女の子がタイプであったかも覚えていないのだ。
ただ覚えているのは 美人ではないことと、 100パーセントの女の子であったことだけだ。
と、ここで場面が一気に変わる。 読者はなんのことだろうかと思いながらもそのまま話に吸い込まれてしまう。
彼の回想、妄想が膨らむ。 それと同時にさきほどの彼の思い出が私たち読者により詳細に語られる。
彼がどんなところですれ違ったのか。
けれども、彼には分っている。 今では。
彼があの場面で何を言えばよかったのかも。
そして、言えたかどうかでいえばおそらく言えないほどの長い長い話であったことを。
とにかくその科白は「昔々」で始まり、「悲しい話だと思いませんか」で終わる。
ここであなたも考えてもらいたい。
自分だったらここにどんな言葉を埋めてみるだろうか。
ぼくだったら?
読んだことがあるけれども?
「
昔々、ある男の人と女の人が街角でばったりと巡り合う。
男は確信する。「彼女はぼくにとって100パーセントの女の子だ。」と
そして彼女に思い切って話しかけてみる。
「すいません」
「はい?」
「あのー、村上春樹という人の小説を読んだことがあるのですが、あなたもご存じでしょうか?」
と話しかける。
すると、彼女はこういうだろう。
「いえ、読んだことはないわ。」
「そうですか、僕は村上春樹の小説がいくつか好きなのですが、あなたを見てある小説を思い出したのです。」
「あら、急いでいるので、あなたが何を言いたいかわかりませんが、用があるのであれば簡潔におっしゃっていただけませんか?」
「...あの、少し長くなりそうなんですが、はなし...」「急いでいますのでごめんなさい。」
というわけで聞いてもらえないっていうことがあったんです。
けれども、僕のこの話を聞けば彼女は少しの時間の犠牲を差し置いてでも変えられない100パーセントの男の子とであったのです。
彼女が彼の話を聞いて村上春樹の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出合うことについて」を読んでみさえすれば。
悲しい話だと思いませんか。
そんな風に思いながら僕は村上春樹がこんなことを考えていることに驚く。
いくつかの矛盾点があげられることは解っている。
彼の話にはもちろん彼女が指摘しようとすればぬぐい切れない欠陥が転がっている。
それでもいいのだ。
ぜひ、ぼくが最も好きな、星新一よりもすきかもしれない短編小説を読んでみてほしい。
アシカ祭り
もすごくおかしおもしろな話。 なんといってもアシカが名刺を渡しに来るのだから、意味不明。どうやって思いついた?
おすすめ。
他
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